今月のMovie

(2004年 6月号)





「パッション」
監督・製作 メル・ギブソン
ジム・カヴィーゼル
モニカ・ベルッチ
2004年 アメリカ

原題は「THE PASSION OF THE CHRIST」=「キリストの受難」
自らも熱心なクリスチャンであり、ハリウッドスター俳優であるメル・ギブソンが、
12年もの構想年月と約27億円の私財を投じ、
キリスト最期の12時間と復活を完璧に描いた衝撃作。
公開わずか一ヶ月で約3億ドルの興行収入をあげる大ヒットを記録。
イエス・キリストの想像を絶する痛みを描いた凄惨な映像によって、世界中のメディアが取り上げ、
論争はますますヒートアップしている。
−「パッション」パンフレット 解説より引用―


キリスト教徒が大半を占めるアメリカで、大ヒットしたこの映画も、
公開前には、仏教国である日本で、どのくらい受け入れられるのだろうという疑問の声があったみたいですね。
実際、私が見た評論でも、五段階評価で星三つでした。キビシイ〜。
その理由は、ごく一般的な日本人がこの映画を観終ったとき、「救い」や「癒し」ではなく、
暴力描写だけが心に残ってしまうのではないかという懸念からでした。

この映画は、新約聖書の4つの福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ伝)を元に、忠実に作られているのですが、
セリフは、当時の言葉であるラテン語、アラム語のみ(アメリカ公開の時にも英語の字幕が付いた)で、
ペトロ、ユダ、ヨハネといった弟子達やその他の登場人物に関してもいっさい説明らしきシーンはないので、
聖書に縁の少ない日本人には、ストーリーの流れが、いまいちよくわからないと思う箇所が多かったかもしれません。

そして、映画の大部分は、確かに、すさまじく暴力的で強烈なシーンばかりという印象が強かったです。
ムチ打ちの刑罰では、イエスの体に刻まれていく生々しい傷跡や鮮血を繰り返し見せつけ、
映画を観ている私達にも、イエスの苦しみを共感しろと言わんばかりの激しさでした。

重い十字架を背負い、処刑場まで歩く「道行き」のシーンでは、
倒れこむイエスに、母マリアが駈け寄ります。
そして、そこに子供の頃のイエスが転んで、マリアが助け起こす回想シーンが重なります。
目の前で苦しむ我が子になすすべもなく
張り裂けんばかりに嘆き悲しむ彼女の胸のうちを想うと、目の奥がジーンとしました。
イエスが十字架にかけられ、
足首や手のひらに、くいをうちつけるシーンは、あまりにリアルすぎて、正視できないほどでした。
最期に、墓に納められたイエスの遺体は復活し、このシーンで映画は終わります。

表面的には、確かに暴力描写だけが心に残りそうに思えます。
でも、わずか半日のこの出来事を、文字だけの聖書の世界から、
まるで目の前で起こっている事の様に、リアルな映像で我々の前に現したメル・ギブソンの「パッション=情熱」に
私は素直に感謝したいと思うのです。
イエスが自らの「死」をもって、神の「愛」を示したということが、どういうことなのか・・・・。
もし、この出来事が無ければ、その後2000年も続くような宗教は、存在し得なかった、そう思うのです。


新約聖書の中の一節に、こういうのがあります。

天にまします 我らの父よ
願わくは 御名をあがめさせたまえ
御国を 来たらせたまえ
御心の天になるがごとく
地にもなさせたまえ
我らに 日常の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯すものを 我らが許すごとく
我らの罪も許したまえ
国と力と栄えとは 限りなく汝のものなればなり
アーメン

クリスチャンでなくても、聞いたことのある人は多いのではないでしょうか?
私は、高校生のとき、偶然本屋でもらった名刺サイズのカレンダーのうらに
この言葉が書かれているのを見つけました。
なんとなくリズムがいいなあと思って、何度も繰り返し、唱えているうちに暗記してしまい、
そのうち、新約聖書そのものに興味が出てきて、
自分で買ってしまいました。
その時の新約聖書が、今も手元にあります。

若い頃には、意味もわからず、丸暗記していたひとつひとつの言葉が
この歳になって、とても奥深い意味のある言葉だったんだということに
だんだん気付きはじめました。
なので、私はクリスチャンではないけれど、時々、この一節を唱えます。(←その姿、決してコワイものではごじゃいません。)

「宗教」って、元の根っこのところはみんな同じ気がします。
「宗教とは、『月』を指差す手のようなものだ。それぞれの手は異なるが、『月』すなわち『真理』は、ただ一つでしかない。」
こんな文章を読んだとき、なるほどと思いました。
キリスト教もユダヤ教もイスラム教も仏教も、伝えようとしていることは同じ、ということでしょうか?

上記の一節だけでなく、他にも新約聖書には良いことがたくさん書かれています。
経典としてではなく、普通の「本」として読んでも、心に良いと思うのです。
この「パッション」という映画を観た日本人が、一人でも多く聖書に興味を持ったら、
日本でのこの映画の意味は十分にあったのではないかなと思うのです。

自分達の力だけで、世界を動かしているような顔をして、
驕り高ぶり、愚かな行動をとる人間達を
本当は誰が守り愛し、生かしてくれているのかということ・・・。
それを感じる人たちが、もっともっと増えていけばいい。
自戒の意味も込めて、切にそう願います。
ちょっと、宗教家っぽくなっちゃったかなあ〜。
でも、ホントの気持ち☆